戻る   令和6年度 旭竜 日 記 (きょくりゅう にっき)                

★令和6年12月5日(木) 広島原爆被爆者 語り部の方をお招きして(6年生)
       
   
 この日の5校時、6年A組の教室は、「戦争の悲惨さ、平和の尊さ」を感じる空気でいっぱいになりました…。

 幼少期に、広島原爆でお兄さんを失われた
吉田惠子(よしだしげこ)さんが、語り部として、本校をご訪問くださったのです。
 当時の吉田さんは、広島県北へ疎開されていましたが、原爆投下の知らせを聞き、母と共に足が不自由な
お兄さん(当時21歳)を探されたそうです。
 8月6日の投下後3日目、やっと出会えたものの全身にやけどを負い、真っ黒になった姿を救護所で見つけられたそうです。

 お兄さんが食べたいと言われたのがトマトでした。お母さんは、農家を回られましたが手に入らず、そのまま被爆5日後の8月11日に亡くなられたそうです。
 
吉田さんは、お母さんが「守ってやれなかった!トマトも食べさせてやれなかった!」という悲痛な叫びを目の当たりにし、言葉が出なかったそうです。

 吉田さんは、ご定年を迎えられた後、
岡山県原爆被爆者会に入られました。しかし、長い間、被爆体験を語る気にはなれなかったそうです。
 そんな中、旭竜小学校へお越しくださり、その時の惨状が目の前に広がってくるような気持ちにさせられた…そんな貴重な証言、お話を語ってくださいました。
 
 6年生の子どもたちの中には、涙を浮かべ、嗚咽する子も現れました。
 
12歳になる年に、彼らが、80年前に日本で実際にあった話を、言葉でお聴きし、心に刻むことができたことに、私としてもありがたさを感じました。
 
 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、この度、栄誉ある「ノーベル平和賞」を受賞しました。
 政治的な見方には触れませんが、「平和の尊さ」は普遍的な価値だと考えております。
 
私たち人間は、同じこの時代に、地球という星に生を受け、共に幸せを希求しながら生きています。
 
「生きている」から「生かされている」という姿勢への変化が問われている現代のように思います。
 子どもたちには、ぜひ
「平和」の礎を築く生き方を追い求めてほしいと切に望んだ一日でした。
 吉田さん、勇気を振り絞って語ってくださり、本当にありがとうございました!